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2023年7月10日(月)
札幌文化芸術劇場 hitaru
平田オリザによる青年団「ソウル市民」プレレクチャー
参加レポート
2023年5月10日(水)19:00〜20:00 SCARTSコート 文:松田仁央
開館以来さまざまな現代演劇作品を紹介するとともに、プレレクチャーや劇評入門など、一つの作品について観劇前後に時間をかけて考えられるような取り組みを行ってきた札幌文化芸術劇場 hitaru。今年開館5周年を迎えるにあたって、「現代演劇とは何か?」ということを改めて考える機会とすべく、1989年に初演され「現代口語演劇」の出発点となった青年団『ソウル市民』を上演(2023年5月13日、14日クリエイティブスタジオにて)。併せて、作・演出の平田オリザさんによる中高生のためのプレレクチャーが開催されました。
「中高生のための」と謳ってはいるものの、年齢に関係なく誰でも参加できるレクチャーなので、会場は幅広い年齢層のお客さんでほぼ満席。オリザさんによる自己紹介では劇作家、演出家、芸術文化観光専門職大学学長、江原河畔劇場とこまばアゴラ劇場の芸術総監督...とさまざまな活動に触れつつ、作品に関しては14カ国語に翻訳されている代表作の『東京ノート』をはじめ、日韓の演劇人が合同制作した『その河をこえて、五月』、また韓国には演劇を学べる大学が100校以上あり、発表公演等でオリザさんの作品が年に4,5本上演されていることなどが紹介されました。
レクチャーの内容は、「日本文学盛衰史」「日本近代演劇史」「ソウル市民」という構成。『日本文学盛衰史』は、近代日本文学の黎明期に「何をどう書けばいいのか?」と使える文体や描くべきテーマを求めて苦悩する作家の姿を、現代と往還させながらコミカルに描いた高橋源一郎の長編小説で、2018年には青年団が舞台化し第22回鶴屋南北戯曲賞を受賞しています。
お話の中でポイントとなっていたのは、「近代的自我」の芽生えと、それがどのような文学的主題へとつながっていったのかということ。明治になり、封建的な身分制度が廃止され、四民平等の時代がやってきた。努力すればどんな人でも出世できるし、恋愛だって自由にできるはずなのに、社会から差別や偏見、貧困はなくならない。社会的流動性が皆無だった封建社会では当然のこととして意識されなかった問題が、「ちょっと自由になった」社会では前景化し、その狭間で人々が自己について考え、苦悩する。その姿を一般的に「近代的自我」と呼ぶのですが、この「ちょっと自由になったはずなのに、現実の社会はそうではない」という矛盾は、現代を生きる私たちも日々いろんな場面で痛感していることなのではないでしょうか。オリザさん曰く「そういうところに文学や演劇は生まれる」のだそうです。
1887年に初めて「言文一致(=簡単に言うと、話し言葉に近く、音で聞いてわかる文体)」という新しい文体で書かれた小説『浮雲』を発表した二葉亭四迷。1890年、擬古文調ではあるけれど「出世か愛か、国家か個人か」という悩み(=近代的自我)を描き、エリート層から共感を集めた森鴎外『舞姫』。1895年、淡い恋心を抱く少年少女が社会の抱える矛盾に引き裂かれていく様を、平易な文体で描いた樋口一葉『たけくらべ』。1897年、雅俗折衷の文体で書かれながらも大衆受けするストーリー展開で大ヒットし、「文学で儲けることができる」という発見をもたらした尾崎紅葉『金色夜叉』。1898年、二葉亭によるツルゲーネフの翻訳を元に、言文一致体で書かれた最初の随筆『武蔵野』で一世を風靡した国木田独歩。そしてもう一人、重要人物として、1893年に「内面」を描く新しい文学を予言する『内部生命論』を発表し、当時の若者に多大な影響を与えた北村透谷。
これらのエポックメイキングな作品を、当時の読者がどのように受け止めたのかという点にも触れながら、そしてシェイクスピアの例にも触れながら、オリザさんの縦横無尽な解説は止まりません。いよいよ20世期、『ソウル市民』で描かれた時代と重なる時期へ突入です。まずは1905年に夏目漱石が『吾輩は猫である』を発表し、1906年には被差別部落を取り上げた島崎藤村の『破戒』や夏目漱石『坊っちゃん』、そして1907年には日本の私小説の始まりである田山花袋『蒲団』が発表されます。『浮雲』が発表されてから20年の間で言文一致体が定着すると同時に、新しい文体を手に入れながらも、国木田独歩のように書くべきものがないと悩み、文学から離れていく作家もいたそうです。
ここでオリザさんはもう一人、重要人物として正岡子規を挙げます。俳句や短歌を文学の領域まで高めた彼のもう一つの功績として、最晩年に脊椎カリエスを患う中で書かれた随筆集『病床六尺』によって、言文一致体の写生文を完成させたことに言及。彼は夏目漱石の親友であり、当時ロンドンにいた漱石と亡くなる直前まで手紙のやり取りを続けます。「庭先の様子などが見たままに書かれた子規の手紙の写生文を通じて、漱石は言文一致体の文章を獲得していったのではないか」とオリザさん。そうして帰国後に発表されたのが、『吾輩は猫である』なのだそうです。日本文学史にこんなつながりがあったとは。
さらに同時期の詩歌においては、先に挙げた森鴎外や樋口一葉、国木田独歩などに代表されるロマン主義(※個人の主観を重視し、自我の解放と確立を目指した精神運動)を受け継ぐ形で、1901年に『みだれ髪』を発表した超売れっ子の与謝野晶子(ロマン派・擬古文調)、正岡子規(「写生」という技法を重視するアララギ派・言文一致体)の二人に続いて、「ロマン主義」と「言文一致体」を使用した石川啄木が1910年に『一握の砂』を発表します。余談ですが『ソウル市民』の劇中、文芸誌『スバル』を取り寄せた長女が休憩中の女中たちに石川啄木の短歌について読み聞かせ、「何か暗い」などの感想を言い合う場面があります。こうやって庶民でも共感したり反発したりできるのは、啄木の短歌が音で聞いてわかる言文一致体で、かつ個人の感情等が表現されているからなのだなあと、改めて彼の功績を思った次第です。
さて、このように日本文学史の中で主題や文体が発見され、発展してきたわけですが、日本近代演劇史はどのような道を辿ったのでしょうか。実は1時間のプレレクチャーのうち、この時点ですでに45分が経過しており、当初予定していた内容から大幅に割愛されたのですが、大事な点は二つありました。
一つは、1924年に開設された築地小劇場について。演劇を学ぶためにヨーロッパへ渡りながらも、1923年の関東大震災を機に1年で帰国した土方与志が、私財を投じて小山内薫らとともに建てた日本初の新劇を上演する常設劇場の登場によって、日本の演劇の近代化が始まったそうです。もう一つは、演技の根拠について。新劇が採用した演技理論「スタニスラフスキー・システム」に代表されるように、近代演劇では人間の心理を重要視して戯曲を解釈し、悲しいと解釈したなら自分の内面に悲しいという状態を作り、その感情に乗せてセリフを言うというのが基本的な考え方でした。それに対して60年代に始まったアングラ・小劇場運動は、「いやいや、人間というのはそんな理性的に、心理の通りに合理的に喋るものではない」ということを主張し、衝動や情念を大事にした。
そしてオリザさんがやってきた90年代演劇では、「人間はそんなに主体的に喋るものではないのではないか」と考え、アングラ・小劇場運動は人間の主体性に対する疑いが弱いのではないかと批判した。「今私はもちろん主体的に、思ったことを話しています。でも一方で、この会場の広さや皆さんの頷き具合など、いろんなものに影響を受けて喋らされている。人間は主体的に喋ると同時に、環境によって喋らされている存在なんじゃないか、ということを私は言ってきました」とオリザさん。そこから現代口語演劇を考え出すまでの経緯や、そこで生まれた『ソウル市民』について話を進めていきました。
大学卒業後の1986年、自分がやりたい芝居を改めて考えて現代口語演劇を始めたところ、それまで1000人いた観客が1年で300人に減ったそうです。当時の状況をオリザさんは国木田独歩の『武蔵野』になぞらえて、「僕たちは画期的に新しいことをやっていたんだけど、何を書いていいかわからなかったんです」と言います。そうしてその後に生まれたのが、『ソウル市民』でした。1909年、日本による韓国の植民地化、いわゆる「日韓併合」を翌年に控えたソウル(当時の呼び名は漢城)で文房具店を経営する日本人一家の一日が淡々と描かれる本作は、89年の初演時、「え、これで終わり?」と観客を呆然とさせたそうです。(※先日の札幌公演でも、終演直後に同様の空気があったような気がします。)近代演劇や近代小説のように起承転結があるわけでもなく、悪者が報いを受けるでもなく、何も起こらない本作について、オリザさんはこう続けます。
「そういう芝居はそれまでありませんでした。要するに島崎藤村が初めて言文一致体で社会問題を書いたのと同じようなことが、ここに起こったわけです。その前に岩松了さんによる現代口語演劇的なもの(当時は「静かな演劇」と呼ばれていた)が始まっていたけれど、あまりに新しい文体だったため、それを何に使えば良いのか誰にもわかっていなかった。でもそれを使って、例えば植民地支配というものを描くことができるということがわかったんです」。
『ソウル市民』のポスターには、「人が人を支配するとは、どういうことなのか」というキャッチフレーズが入っています。「人が人を支配してはいけない、植民地支配はいけないということは当たり前です。でもその道徳を伝えることが演劇や文学の役割ではなく、植民地支配はどのような構造を持っていて、それによって人はどのように変化しダメになってしまうのかを描くのが、文学や戯曲の仕事なのではないかと思いました。それを実感したのが『ソウル市民』という作品です」。
その後の質疑応答では多言語演劇や翻訳についての質問もあったのですが、ここでは「観劇中に考えるだけでなく、観劇後に考える」ことについての質問に、現代口語演劇の特徴を絡めて答えてくださった内容を紹介します。観客に対して、近代演劇は基本的に登場人物に感情移入させ、役が持つ感情に同化させるようにつくられているのに対し、ドイツの劇作家ブレヒトは感情移入させない異化効果という演劇手法を提唱しました。オリザさんの場合は、「同化とも異化とも違う作品のつくり方をしている」そうです。例えば『ソウル市民』では舞台中央にテーブルがあり、そこでみんなが話すのですが、「お客さんには、テーブルの空いている椅子に座っているような感覚で観てもらいたいと思って作品をつくっている」とオリザさんは話します。「感情移入するのでもなく、遠くから客観的に眺めるのでもない、空間を共有するということが大事なんじゃないか。人によって感想が全然違い、観劇後にあれは何だったんだろう?と話してもらうことが大事だと思っています」。
こうしてプレレクチャーは終了。冒頭の挙手では、お客さんの大部分が『ソウル市民』も観劇予定とのことだったので、レクチャーをふまえてどんな感想を持ったのかも気になるところです。私はというと、「人間は主体的に喋ると同時に、環境によって喋らされている存在」という部分についてずっと考えています。『ソウル市民』の中でも、日本人と朝鮮人の間だけでなく、日本人同士でも、本土と朝鮮、東京と地方、本土と沖縄、本土育ちの日本人と朝鮮育ちの日本人…などなど多層構造の優劣関係があったことが窺われました。好感の持てる人が悪意なく差別的な発言をするとき、その人は上記のような社会構造によって喋らされている。自分が主体的に考えて選択していると思う発言は、どのぐらい社会構造の影響を受けているのだろうか...と考え始めると深みにはまってしまうのですが、レクチャーや観劇をきっかけに長い時間をかけて考え続けられるということは豊かなことだなと思います。hitaruの同様の取り組みを今後も楽しみに待ちたいです。そして最後になりましたが、平田オリザさん、素晴らしいレクチャーと作品をありがとうございました!
講師:平田オリザ
劇作家・演出家・青年団主宰 芸術文化観光専門職大学学長 江原河畔劇場・こまばアゴラ劇場 芸術総監督。1962年東京生まれ。1995年『東京ノート』で第39回岸田國士戯曲賞、2019年『日本文学盛衰史』で第22回鶴屋南北戯曲賞を受賞。2011年フランス文化通信省より芸術文化勲章シュヴァリエ受勲。演劇の手法を用いた多様性理解・コミュニケーション教育にも取り組み、各地での講演や、 国語教科書にも採用された対話劇ワークショップの授業を行っている。著書に『ともに生きるための演劇』(NHK出版)ほか。
松田仁央
ライターとして札幌の芸術文化を中心に取材・執筆。2017~2019年にはEU・ジャパンフェスト日本委員会やボランティア・ブリッジ・プロジェクトの助成を受け、シビウ国際演劇祭や欧州文化首都マテーラでの数週間のボランティア・プログラムに参加。2019年5月には「札幌市こどもの劇場やまびこ座」プロデュース人形劇『OKHOTSK オホーツク 終わりの楽園』東欧3都市ツアーに同行し、取材と通訳補佐等を行う。2022年より英日翻訳の仕事にも携わる。2023年5月より札幌市のコミュニティ通訳。
http://www.freepaper-wg.com/
平田オリザによる青年団「ソウル市民」プレレクチャー
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青年団「ソウル市民」作・演出:平田オリザ
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