本日は開館日です
開館時間 9:00~22:00
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イベント情報
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- チェルフィッチュの〈映像演劇〉 「風景、世界、アクシデント、 すべてこの部屋の外側の出来事」
2020年7月14日(火)~ 8月1日(土) 演劇 映像
チェルフィッチュの〈映像演劇〉
「風景、世界、アクシデント、
すべてこの部屋の外側の出来事」
- 日時
- 2020年7月14日(火)~ 8月1日(土)
11:00 ~ 19:00 - 会場
- 札幌文化芸術交流センター SCARTS SCARTSコート
- 休館日
- 7月22日(水)
- 料金
- 無料
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わたしたちには ーわたしたち皆にである、とは必ずしも言えないけれどもー この世界を把握したいという好奇心があり、この世界を正しく知っていなければならないという責任感さえ、場合によってはあります。一方で、わたしたちには身体の大きさとか、視野、知覚能力、思考の能力、時間、といった条件があらかじめ与えられています。それによる限界のもとで、わたしたちは世界を理解しようとしていて、ですからその理解は誤解である可能性も大いにありますけれども、それは仕方ないことです。
この限界を、小さな部屋の中にいるようなものと喩えることは可能だとわたしは思う。そしてもしその部屋を多かれ少なかれ快適だと感じられるなら、その部屋の中にいて世界と無関係でいるということも可能。こうした態度・感覚は時に必要なときがあるけれども、果たしていいことなのかどうかは、分かりません。
岡田利規
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作・演出/岡田利規
映像/山田晋平
出演/足立智充、椎橋綾那 - 岡田利規
- 1973年神奈川県生まれ。演劇作家、小説家、チェルフィッチュ主宰。2005年「三月の5日間」で第49回岸田國士戯曲賞を受賞。2007年デビュー小説「わたしたちに許された特別な時間の終わり」を新潮社より発表し、翌年第2回大江健三郎賞受賞。2012年より岸田國士戯曲賞の審査員を務める。2016年よりドイツ有数の公立劇場として知られるミュンヘン・カンマーシュピーレにて、日本人演出家として初めて4シーズンに渡るレパートリー作品の演出を務めている。
- チェルフィッチュ
- 岡田利規が全作品の脚本と演出を務める演劇カンパニーとして1997年に設立。独特な言葉と身体の関係性を用いた手法が評価され、現代を代表する演劇カンパニーとして国内外で高い注目を集める。2007年『三月の5日間』にて国外進出を果たして以来、世界70都市での上演歴を持つ。近年は海外のフェスティバルによる委託作品制作の機会も多く活動の幅をさらにひろげている。
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テクニカルディレクション、
映像システムプログラミング|岩田拓朗(SCARTS)
衣裳|藤谷香子(FAIFAI)
英語翻訳|アヤ・オガワ
宣伝美術|佐藤史恵(SA+O)
プロデューサー|黄木多美子(株式会社precog)
プロダクションマネジメント|小森あや(TASKO inc. )
制作|小山冴子(SCARTS)、丸田鞠衣絵(hitaru)
企画制作/株式会社precog
製作/札幌文化芸術センターSCARTS・札幌文化芸術劇場hitaru(札幌市芸術文化財団)、一般社団法人チェルフィッチュ - オンライン配信トーク
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配信日程
7月23日(木・祝)19時〜
7月27日(月)19時〜
詳細>>https://www.sapporo-community-plaza.jp/event_scarts.php?num=1419 - お問い合わせ先
- 札幌文化芸術交流センターSCARTS TEL:011-271-1955
- チラシダウンロード
チェルフィッチュの映像演劇チラシ
※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、展示時間や入場時の受付方法等が変更となる場合があります。このページにて最新情報をお知らせしますので、ご来館前に必ずご確認ください。
◎ご来館の際にはマスクの着用をお願いします。
◎受付にて手指の消毒と検温、氏名・電話番号の記入をお願いします。
◎会場内にて観覧するお客様が20名を越えた場合は、一時お待ちいただく場合がありますので、ご了承ください。
映像編集: 常松英史
本展は、4本の〈映像演劇〉によって構成される演劇公演/展覧会です。
〈映像演劇〉とは、演劇作家・チェルフィッチュ主宰の岡田利規が、舞台映像デザイナーの山田晋平と取り組む、新しい形式の演劇です。「演劇とは、ある場において行われる上演が生じさせる“現象としてのフィクション”のことだ」と語る岡田は、これまでも演劇の形式自体を問うような作品を多く手掛けてきました。
〈映像演劇〉で上演/展示されるのは、スクリーン等に投影された、等身大の役者の映像です。映像の中で、役者は役を演じていますが、そこには背景も奥行きもありません。映像であるからこそ、観客は接近したり凝視したり、通常の「演劇」とは異なる鑑賞の仕方をすることができます。一方で、厚みのない映像であるにもかかわらず、人間が演じる「演劇」とも違う独特の存在感や生々しさが、そこには発生しています。
観客が映像に触れ、役者の演技と観客の想像力とが合わさる時、映像が投影された空間は、演劇の生まれる空間に変わります。〈映像演劇〉を見ることで、観客は、「演劇」として発生するフィクションと、「映像」であることで発生するフィクションという、2つの領域を同時に経験することになるのです。