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2020年10月14日(水)

札幌文化芸術交流センター SCARTS

アーカイブ:
Collective P -まちとプラザをつなぐ搬入プロジェクト-
「「搬入プロジェクト」オープン化の経過とわたしたちが死んでないという問題」
金森香(悪魔のしるし 企画・プロデュース)

アーカイブ: Collective P -まちとプラザをつなぐ搬入プロジェクト- 「「搬入プロジェクト」オープン化の経過とわたしたちが死んでないという問題」金森香(悪魔のしるし 企画・プロデュース)イメージ

撮影:リョウイチ・カワジリ

「搬入プロジェクト」オープン化の経過とわたしたちが死んでないという問題

「搬入プロジェクト」を考案した「悪魔のしるし」演出家・危口統之氏が逝去してから3年が経った。危口本人が元気なころから、「搬入プロジェクト」については「誰がやってもいい・願わくば知らないうちにどこかの祭にでもなってほしい」と言っていたのを真に受け、彼の没後に本作品の著作権をフリーにしてCC0にするという試みを愚直に実施した我々「悪魔のしるし」であるが、果たしてそうしたところで、何が起きるのか、それが何を意味するのか、あんまりわかってなかったので、実践しながら理解しているところだ。無計画かもしれないが、予測のつかない未来に作品を放っていきたくて始めたこと故、どうかご容赦ください。

「搬入プロジェクト」の定義は、『ある空間に「入らなそうでギリギリ入る物体」を設計・製作し、それを実際に入れてみる』というシンプルなものである。どうとでも捉えられる。「ギリギリ」がサイズを示すのか重さなのか非物質的なものなのか、などは個々の解釈に委ねられている。まだ実施例は少ないが、大学での授業など含めてこれまで生まれた第三者による「搬入プロジェクト」では、この定義に対して所謂「悪魔のしるし」がこれまでやってきたようなメソッドとは別なベクトルを持ち込んで、ルールを独自に読み込むような試みも多かった。意図的な場合もあるが、やる人が自らの興味関心に引き寄せて考えたら自然とそうなりました、というケースもあるように思う。

今回の「搬入プロジェクト」も、このように定義を拡張していく挑戦であったと捉えている。私自身は作品の現場にお伺いできてないので、作品そのものについて大層なことは言えない。このプロジェクトがどのように参加者の方々や、建物に対して機能していたかについては、今あらためてそれぞれの立場からの記述からむしろ学びたい、という立場である。

私が、この札幌のプロジェクトを通して私が率直に感じた新鮮な感慨は、我々が、まだ死んでない、ということだった。「悪魔のしるし」を葬れずにまだのろのろと現世を徘徊している、だらしのない生存者だ。ゾンビ、といえればそれはそれで格好がつくが、そこまで死んでもないのだった。

長年危口と搬入プロジェクトを実行してきた石川卓磨がいま考えていることは別な文章にまとまっているのでご一読いただければと思うが、彼にはその経験の蓄積や費やした時間からくる「搬入プロジェクト」や危口に対してのある種の矜持がある。また、彼の系統学的・分類学的アプローチも興味深い。

私自身はデザイナーではないので、物体のデザインに対する主体的な感情は起こらない。が、この「オープン化」というプロジェクトもひとつの作品だと考えると、これはまだ創作の途上にあるので、より良い整備をせねばならないと感じている。大袈裟だが制度をいかにデザインするかという部分には責任がある。私たちが死んでも情報が拾えるようにしておくこと、インターネット宇宙のデブリにならないようにせねばならない。そういえば「使っていいよ」というのは簡単だが「本当に使われるようにすることこそ難しい」と、CC0について法的側面からのご相談したArts and Law 永井幸輔弁護士にあるとき言われてはっとしたのだった。

言うまでもないが、いまや「搬入プロジェクト」は誰のものでもないので、誰が企画しようと、いかなる取組も同列だ。実績などの差はあれど、本家だから偉いわけでもないし、正しいとか間違っているとかいうことがあるわけでもない。互いに違いをおもしろがり、エールを贈り合ったりプロレスしたりできるといい。いろんな歌い方があっていいよね好みはいろいろあれどーそれについて語って呑み明かすのが楽しみだね、という風土を作っていきたい。

突然だが、かつて、作品と作家について危口がくれたコメントの存在を思い出したので、引用する。本田祐也という既に他界した作曲家のアーカイブに関するクラウドファンディングの応援文である。書かれたのが2016年9月なので、すでに危口自身が体調の異変を感じ始めた頃だったかと思う。

〜略 このような記憶や感情とはまったく別の次元に作品というのは存在する。というか、そうでなければ懸命に作品を作ったり、日々そのことについて狂おしく考えている芸術家たちは救われない。作品が生みだされるのは個々の芸術家の想いからかもしれないが、最終的には、ロケットが燃料を捨てるように、作品も作品として独立して飛び立たねばならない。想いは切り捨てられねばならない。〜略
原文:https://readyfor.jp/projects/yuyahonda/announcements/43215 外部リンク

「搬入プロジェクト」はまさにいま燃料を絶賛切り離していく過程にある。一方で、少なくとも私にとって「悪魔のしるし」や「搬入プロジェクト」の活動は、危口の視線の先にあったはずのものを、作品をとおして見続ける行為であることも否定できない。そして、それはある種の弔いの感情かもしれず、誰に止められるものではない。一生不可避な可能性大であり、その気持ちが活動の原動力になってさえいる。

わたしたちは、かつて作家がわたしたちに教えてくれたこの世界のおもしろさを、それを伝えてくれた時の躍動を、忘れることはできないだろう。だからこそこの作品のオープン化をすすめたい。それは「開きたい」という思いと「もういちど向かい合いたい」という思いの間で、振り子が行ったり来たりするような感じだ。作品を開いていくことと、キグチさんを忘れないということ、貯めた知見を深めたいと思う探究心、それらはときにぶつかることがあっても、どれも同じ位大事にして生きていくしかない。ときに矛盾を抱えながら、自らの内の葛藤も認めながら、我々の「開き方」も、もっと上手になっていきたい。遅かれ早かれ死んでしまうのだ。いまだけのゆらぎである。それもまた貴重なプロセスだ。あと何年かわからないが、みんなが死んでしまうまでの時間をどう有意義に過ごすか考えねばならない。

末尾になってしまいましたが、この、楽しいけど大変なプロジェクトを企画し実行した札幌の皆様に尊敬と感謝の気持をお伝えするとともに、文章に考えをまとめる機会をいただき、心より御礼申し上げます。本当に、ありがとうございました。

(金森香 /悪魔のしるし 企画・プロデュース)  





アーカイブ: Collective P -まちとプラザをつなぐ搬入プロジェクト-

●記録写真(特設ウェブページ)  
https://collectivep.tumblr.com/ 外部リンク  

●記録動画(Youtube)
https://youtu.be/DKxtqOX84Ds 外部リンク

●寄稿  
「Collective P」について。
五十嵐淳(建築家)  

札幌を訪ねて
島貫泰介(美術ライター/編集者)  

搬入プロジェクトの行く末
石川卓磨(悪魔のしるし/建築家)  

「搬入プロジェクト」オープン化の経過とわたしたちが死んでないという問題
金森香(悪魔のしるし 企画・プロデュース)  

●SCARTSシンポジウム アートセンターの未来 (2020.2.24座談会)  
「Collective P -まちとプラザをつなぐ搬入プロジェクト-」から考えたこと  
酒井秀治(まちづくりプランナー/(株)SS計画代表取締役)  

●ふりかえりトークイベント(2019.10.5 ※トーク抜粋)  
五十嵐淳、酒井秀治、岩田拓朗(SCARTSテクニカルディレクター) ゲスト:小野風太(札幌市交通局)  
※近日公開予定

●SCARTS CROSS TALK vol.7(2019.9.25公開、対談記事)  
境界線は、どこにある?居場所をつくるアートプロジェクト
五十嵐 淳×酒井 秀治×矢倉 あゆみ(SCARTSコーディネーター)  

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