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2020年10月14日(水)
札幌文化芸術交流センター SCARTS
アーカイブ:
Collective P -まちとプラザをつなぐ搬入プロジェクト-
「搬入プロジェクトの行く末」
石川卓磨(悪魔のしるし/建築家)
搬入プロジェクトの行く末
2019年10月3日に、搬入プロジェクトのオープン化以後、初めての本格的に悪魔のしるしが内容に関わっていない搬入プロジェクトが行われるということで、札幌市民交流プラザにて、SCARTS(札幌文化芸術交流センター)企画の実際の公演の場を訪れた。札幌の搬入は、搬入から着想を得たけども、札幌のチームによる完全にオリジナルのものであった。札幌のオリジナリティは、公共の交通機関を搬入に利用する、という点だろう。それゆえ、空間にギリギリ入る物体、というルールの「空間」とは、公共の交通機関の持つ車両などに読み替えられる。
2018年の豊田市美術館での搬入の際は、一旦第三者に投げてみたものの、途中で口を出してしまいオープン化を謳うには中途半端さを残してしまった。なので今回は口を出さずに成り行きをひたすら見届けることにした。
札幌の搬入は、全てが正しく機能していた。市民がくつろげる、魅力的なキャッチーな岩山のようなスペースを、材料を市民参加で(しかも駅の構内で)加工し、地下鉄を使って、地下道を通って、関係各所と協議をして運搬可能な大きさに設定された軽くて柔らかい材料を、市民が運び入れた材料で積み上げる。最小限の加工でアトラクティブになるような、施工性まで考慮した効果的な設計。周りの市民への配慮、安全面での入念な準備、交通機関との交渉。圧倒的に正しい手順で構築されている。参加者も老若男女、楽しそうである。建築家、まちづくりプロデューサーが主導しているというのも頷ける。一度目の搬入は新さっぽろ駅から地下鉄東西線で大通駅へ。二度目の搬入は市電の車庫から、貸切専用ホームで荷下しし、札幌市民の生活道路である地下道を通って交流プラザへ。札幌の都市部の東西から、かなりの広範囲で繰り広げられる電車での搬入の風景。「自分の知っている搬入プロジェクトではない」ということは事前に分かってはいたのだが、具体的にどこが違うのかをきちんと言葉で説明できずにモヤモヤしていた。今までの搬入だって、モジュールへの気遣い、施工性、周りへの配慮、安全面での検証や関係各所との交渉など、それらの手順は抜かりなく踏んでいる。違うところはおそらくただ一つ。それは、その手続き上にある最大にして決定的なエラー「施工してから搬入する」である。通常の建設現場では当然、「搬入してから施工する」であり、札幌もまたこの正しい手順を踏襲していた。ここの「正しくなさ」こそが悪魔のしるしの搬入プロジェクトの核なのだ。周りの人が「自分が何とかしなくてはいけないのでは?」と動いてくれる状況が生まれるのは、決して手を抜いていい加減に仕事を投げているからではなく、このエラーが災害のように、どうやっても準備しきれない、予測がつかない状況を生み出してしまっているだけなのだ。市民参加のイベントとしては少し危うい「できてなさ」が確かに存在する。そのため、その場を目撃した人々は思い思いのやり方で問題を解決しようとする。そこに正しい手順は用意されていない。この「正しくなさ」からの「できてなさ」が搬入の趣きだとするならば、そこに危口の手つきを感じ取らざるをえない。
搬入プロジェクトをオープン化すると、どうもオリジナルとは違う、独自の進化をしようとする「新しい搬入」ルートの存在を感じている。2018年秋に横浜国立大学の建築学/芸術学の授業に呼んでいただいたときは、課題名をまさに「新しい搬入」とし、学生達が自らアイデアを出し、それぞれが考える新しい搬入を、最終的に4チームに分かれて4つの搬入をした。その時も今までの搬入プロジェクトとは違うが新しい切口の搬入を見ることができた。そのことを思い出していた。搬入プロジェクトの本質を不自由さの中での共同作業に見出したチームは、人の機能を一部制限する搬入、具体的には目隠しをして視覚ではなく音を頼りにした搬入を試みた。祭りとの類似性に着目したチームは家具の搬入、組立をまるでそんな祭りが存在するかのように、太鼓、笛、儀式的な動き、掛け声などで見事に偽の儀式として構成した。搬入物体の物質としてのあり方に着目したチームは、一部にヘリウムガス入りの風船を連結した不定形な、空中に浮かんでいる物体を作ることで人々の新しい動きを作り出した。搬入するべき物体を光としたチームは、遠くの広場に設置した光源から鏡を使って光を目的地まで運び入れる、という困難で壮大な実験を行った。光の扱いにくさに、現場の指示系統は破綻し、意思疎通は困難を極めた。この困難さ(できてなさ)は不思議と搬入プロジェクトを彷彿とさせた。作家が作品を作ろうとする時「ルールの中」でなく、「ルール設定そのものや新しい解釈」に作品の切り口を見出すやり方がある。現代美術的なアプローチである。確かに、ルール設定こそが「搬入プロジェクト」を形作っていることは間違いない。しかし、サッカーや将棋、どろけいなど、スポーツやゲーム、遊びの中に創造性がないと言えば怒られるだろう。 むしろ個人的にはルール内でのクリエイティビティを期待してしまう。スーパープレイヤーが見たこともない鮮やかな動きでゴールを決めるのを待ち焦がれてしまう。
オープン化する、しないに関わらず、そもそも「(芸術)作品」とは作り手のものではない。その「作品」がどんなものであるかを決めるのはいつだって受け手側の人間である。そしてまた、搬入プロジェクトの魅力をどのように解釈して実行するかも実行者の判断に委ねられている。
2020年に山口市のYCAMで行われた搬入プロジェクトのワークショップでは、市民参加で100体を超える物体模型が提案された。空間と格闘して立体造形を制しようとする者もいれば、建物への想いを大きな文字の物体とする案、好きな動物の形をイメージして作る者など様々であった。抽象的で搬入の難易度が高い物体案が伝統的な搬入だとすれば、具象的で搬入難易度の低い物体案というのも確かに存在しうるのだ。
自分は発案者ではないものの、この作品をずっと危口と作ってきたこともあり、客観的な視点で見ることが難しいのかもしれない。中途半端に当事者的な視点から逃れられない。まあ、逃れる必要もないのだが。当事者的な視点からも作品に対して何ができるかを考え続けたい。我々の死後、搬入プロジェクトはどうなるのかを考ええつつ。一体何が残るのか、残らないのかは知る術もないが、きっと新しい搬入が過去の搬入を位置付けていくだろう。解釈の連鎖反応がこの作品を遠くへ運び、人々の行動を想起させる媒体となればいい。
石川卓磨(悪魔のしるし/建築家)
アーカイブ: Collective P -まちとプラザをつなぐ搬入プロジェクト-
●記録写真(特設ウェブページ)
https://collectivep.tumblr.com/
●記録動画(Youtube)
https://youtu.be/DKxtqOX84Ds
●寄稿
「Collective P」について。
五十嵐淳(建築家)
札幌を訪ねて
島貫泰介(美術ライター/編集者)
搬入プロジェクトの行く末
石川卓磨(悪魔のしるし/建築家)
「搬入プロジェクト」オープン化の経過とわたしたちが死んでないという問題
金森香(悪魔のしるし 企画・プロデュース)
●SCARTSシンポジウム アートセンターの未来 (2020.2.24座談会)
「Collective P -まちとプラザをつなぐ搬入プロジェクト-」から考えたこと
酒井秀治(まちづくりプランナー/(株)SS計画代表取締役)
●ふりかえりトークイベント(2019.10.5 ※トーク抜粋)
五十嵐淳、酒井秀治、岩田拓朗(SCARTSテクニカルディレクター) ゲスト:小野風太(札幌市交通局)
※近日公開予定
●SCARTS CROSS TALK vol.7(2019.9.25公開、対談記事)
境界線は、どこにある?居場所をつくるアートプロジェクト
五十嵐 淳×酒井 秀治×矢倉 あゆみ(SCARTSコーディネーター)
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2019年10月3日に、搬入プロジェクトのオープン化以後、初めての本格的に悪魔のしるしが内容に関わっていない搬入プロジェクトが行われるということで、札幌市民交流プラザにて、SCARTS(札幌文化芸術交流センター)企画の実際の公演の場を訪れた。札幌の搬入は、搬入から着想を得たけども、札幌のチームによる完全にオリジナルのものであった。札幌のオリジナリティは、公共の交通機関を搬入に利用する、という点だろう。それゆえ、空間にギリギリ入る物体、というルールの「空間」とは、公共の交通機関の持つ車両などに読み替えられる。
2018年の豊田市美術館での搬入の際は、一旦第三者に投げてみたものの、途中で口を出してしまいオープン化を謳うには中途半端さを残してしまった。なので今回は口を出さずに成り行きをひたすら見届けることにした。
札幌の搬入は、全てが正しく機能していた。市民がくつろげる、魅力的なキャッチーな岩山のようなスペースを、材料を市民参加で(しかも駅の構内で)加工し、地下鉄を使って、地下道を通って、関係各所と協議をして運搬可能な大きさに設定された軽くて柔らかい材料を、市民が運び入れた材料で積み上げる。最小限の加工でアトラクティブになるような、施工性まで考慮した効果的な設計。周りの市民への配慮、安全面での入念な準備、交通機関との交渉。圧倒的に正しい手順で構築されている。参加者も老若男女、楽しそうである。建築家、まちづくりプロデューサーが主導しているというのも頷ける。一度目の搬入は新さっぽろ駅から地下鉄東西線で大通駅へ。二度目の搬入は市電の車庫から、貸切専用ホームで荷下しし、札幌市民の生活道路である地下道を通って交流プラザへ。札幌の都市部の東西から、かなりの広範囲で繰り広げられる電車での搬入の風景。「自分の知っている搬入プロジェクトではない」ということは事前に分かってはいたのだが、具体的にどこが違うのかをきちんと言葉で説明できずにモヤモヤしていた。今までの搬入だって、モジュールへの気遣い、施工性、周りへの配慮、安全面での検証や関係各所との交渉など、それらの手順は抜かりなく踏んでいる。違うところはおそらくただ一つ。それは、その手続き上にある最大にして決定的なエラー「施工してから搬入する」である。通常の建設現場では当然、「搬入してから施工する」であり、札幌もまたこの正しい手順を踏襲していた。ここの「正しくなさ」こそが悪魔のしるしの搬入プロジェクトの核なのだ。周りの人が「自分が何とかしなくてはいけないのでは?」と動いてくれる状況が生まれるのは、決して手を抜いていい加減に仕事を投げているからではなく、このエラーが災害のように、どうやっても準備しきれない、予測がつかない状況を生み出してしまっているだけなのだ。市民参加のイベントとしては少し危うい「できてなさ」が確かに存在する。そのため、その場を目撃した人々は思い思いのやり方で問題を解決しようとする。そこに正しい手順は用意されていない。この「正しくなさ」からの「できてなさ」が搬入の趣きだとするならば、そこに危口の手つきを感じ取らざるをえない。
搬入プロジェクトをオープン化すると、どうもオリジナルとは違う、独自の進化をしようとする「新しい搬入」ルートの存在を感じている。2018年秋に横浜国立大学の建築学/芸術学の授業に呼んでいただいたときは、課題名をまさに「新しい搬入」とし、学生達が自らアイデアを出し、それぞれが考える新しい搬入を、最終的に4チームに分かれて4つの搬入をした。その時も今までの搬入プロジェクトとは違うが新しい切口の搬入を見ることができた。そのことを思い出していた。搬入プロジェクトの本質を不自由さの中での共同作業に見出したチームは、人の機能を一部制限する搬入、具体的には目隠しをして視覚ではなく音を頼りにした搬入を試みた。祭りとの類似性に着目したチームは家具の搬入、組立をまるでそんな祭りが存在するかのように、太鼓、笛、儀式的な動き、掛け声などで見事に偽の儀式として構成した。搬入物体の物質としてのあり方に着目したチームは、一部にヘリウムガス入りの風船を連結した不定形な、空中に浮かんでいる物体を作ることで人々の新しい動きを作り出した。搬入するべき物体を光としたチームは、遠くの広場に設置した光源から鏡を使って光を目的地まで運び入れる、という困難で壮大な実験を行った。光の扱いにくさに、現場の指示系統は破綻し、意思疎通は困難を極めた。この困難さ(できてなさ)は不思議と搬入プロジェクトを彷彿とさせた。作家が作品を作ろうとする時「ルールの中」でなく、「ルール設定そのものや新しい解釈」に作品の切り口を見出すやり方がある。現代美術的なアプローチである。確かに、ルール設定こそが「搬入プロジェクト」を形作っていることは間違いない。しかし、サッカーや将棋、どろけいなど、スポーツやゲーム、遊びの中に創造性がないと言えば怒られるだろう。 むしろ個人的にはルール内でのクリエイティビティを期待してしまう。スーパープレイヤーが見たこともない鮮やかな動きでゴールを決めるのを待ち焦がれてしまう。
オープン化する、しないに関わらず、そもそも「(芸術)作品」とは作り手のものではない。その「作品」がどんなものであるかを決めるのはいつだって受け手側の人間である。そしてまた、搬入プロジェクトの魅力をどのように解釈して実行するかも実行者の判断に委ねられている。
2020年に山口市のYCAMで行われた搬入プロジェクトのワークショップでは、市民参加で100体を超える物体模型が提案された。空間と格闘して立体造形を制しようとする者もいれば、建物への想いを大きな文字の物体とする案、好きな動物の形をイメージして作る者など様々であった。抽象的で搬入の難易度が高い物体案が伝統的な搬入だとすれば、具象的で搬入難易度の低い物体案というのも確かに存在しうるのだ。
自分は発案者ではないものの、この作品をずっと危口と作ってきたこともあり、客観的な視点で見ることが難しいのかもしれない。中途半端に当事者的な視点から逃れられない。まあ、逃れる必要もないのだが。当事者的な視点からも作品に対して何ができるかを考え続けたい。我々の死後、搬入プロジェクトはどうなるのかを考ええつつ。一体何が残るのか、残らないのかは知る術もないが、きっと新しい搬入が過去の搬入を位置付けていくだろう。解釈の連鎖反応がこの作品を遠くへ運び、人々の行動を想起させる媒体となればいい。
石川卓磨(悪魔のしるし/建築家)
アーカイブ: Collective P -まちとプラザをつなぐ搬入プロジェクト-
●記録写真(特設ウェブページ)
https://collectivep.tumblr.com/
●記録動画(Youtube)
https://youtu.be/DKxtqOX84Ds
●寄稿
「Collective P」について。
五十嵐淳(建築家)
札幌を訪ねて
島貫泰介(美術ライター/編集者)
搬入プロジェクトの行く末
石川卓磨(悪魔のしるし/建築家)
「搬入プロジェクト」オープン化の経過とわたしたちが死んでないという問題
金森香(悪魔のしるし 企画・プロデュース)
●SCARTSシンポジウム アートセンターの未来 (2020.2.24座談会)
「Collective P -まちとプラザをつなぐ搬入プロジェクト-」から考えたこと
酒井秀治(まちづくりプランナー/(株)SS計画代表取締役)
●ふりかえりトークイベント(2019.10.5 ※トーク抜粋)
五十嵐淳、酒井秀治、岩田拓朗(SCARTSテクニカルディレクター) ゲスト:小野風太(札幌市交通局)
※近日公開予定
●SCARTS CROSS TALK vol.7(2019.9.25公開、対談記事)
境界線は、どこにある?居場所をつくるアートプロジェクト
五十嵐 淳×酒井 秀治×矢倉 あゆみ(SCARTSコーディネーター)
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