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コラム
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オペラ《ドン・ジョヴァンニ》のツボ~
主要ナンバーから読み解くキャラクター
池田卓夫(音楽ジャーナリスト)
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756―1791)はザルツブルクに生まれたオーストリア人で母国語はドイツ語でしたが、イタリア語を美しく流麗に歌わせる特別な才能に恵まれていました。とりわけヴェネト生まれのユダヤ系イタリア人の台本作家、ロレンツォ・ダ・ポンテ(1749―1838)とのコラボレーションで生まれた3つのオペラ(「ダ・ポンテ3部作」と呼ばれています)――《フィガロの結婚》(1786)《ドン・ジョヴァンニ》(1787)《コジ・ファン・トゥッテ》(1790)はドイツ=オーストリアのドラマトゥルギー(作劇術)とイタリアのカンタービレ(旋律美)の〝最上の結婚〟といえます。
ダ・ポンテ3部作の設定を細かくみると、《フィガロの結婚》の「オペラ・ブッファ(喜歌劇)」に対し、《ドン・ジョヴァンニ》と《コジ・ファン・トゥッテ》は「ドラマ・ジョコーソ」(※1)です。ジョコーソを英語に訳すと、ジョークになります。音楽学者の戸口幸策さんによれば、ダ・ポンテとモーツァルトが「〈ふざけたオペラ〉といういささか侮辱的な意味」(「オペラの誕生」=東京書籍)のブッファより、ドラマ・ジョコーソの表現を好んだそうですが、《ドン・ジョヴァンニ》の場合は明らかにブッファ以上の強いドラマ(※2)への志向があり、イタリアの指揮者リッカルド・ムーティは「ドラマ、ドラマ、ドラマ…と一貫して押して、最後にジョークだ」と、私に語ったことがあります。この独特のバランスを端的に象徴するのが序曲です。
※1 悲劇と喜劇の両方を持ち合わせたオペラ
※2 「劇的な」を意味するドラマ
序曲
重苦しい騎士長の亡霊の音楽に始まり、やがて軽快なアレグロに転じ、終結部がないまま第1曲の《昼も夜もあくせく》に突入します。モーツァルトは単独でも演奏できるよう、コンサート用の終結部を別に作曲しています。
第1曲 レポレッロ《昼も夜もあくせく》
《ドン・ジョヴァンニ》は英語でドン・ファン。ダ・ポンテ&モーツァルトのオペラ、正式には《罰せられた放蕩者もしくはドン・ジョヴァンニ(Il dissoluto punito, ossia il Don Giovanni)》の主人公はスペインの貴族であり、セビリアに屋敷を構えています。少女から熟女まで、世界のあらゆる女性を手中に収めたいと願う「愛の狩人」。騎士長の娘、ドンナ・アンナに手をかけようとして父親と決闘になり、刺し殺してしまうだけの剣の使い手でもあります。放蕩者の奔放な愛の哲学?を第11曲のアリア、《シャンパンの歌》で高らかに歌い上げます。
第11曲 ドン・ジョヴァンニ《シャンパンの歌》
ドン・ジョヴァンニの従者レポレッロは、ご主人様の逃走を助ける際のトリックで服を入れ替えても簡単にはバレない程度の男前で、そこそこに美人の奥さんもいるのですが、宴会の食事から女性まで「おこぼれ」にあずかる抜け目なさがあります。ドン・ジョヴァンニがどこの国で何人の女性をゲットしたかを克明に記録して読み上げるのが第4曲のアリア、《お嬢さん、これがカタログです》(カタログの歌)です。「イタリアで640人、ドイツで231人、フランスで100人、トルコで91人、スペインではもう3,000人!」と数え上げつつ、いくつかの女性のタイプを描写していきます。
第4曲 レポレッロ《お嬢さん、これがカタログです》
さて、ドン・ジョヴァンニの手にかかったばかりか父を殺されたドンナ・アンナにはドン・オッターヴィオという婚約者がいました。悲鳴を聞いて駆けつけたオッターヴィオの前でアンナは取り乱し、最初は相手が誰かもわかりません。ようやく彼だと気づいた許嫁(いいなずけ)に対し、オッターヴィオは「これからは僕が父にも夫にもなろう」と誓います。緊迫したやりとりが愛の誓いへと変化する伴奏付きレチタティーヴォと二重唱の第2曲、《何ということ、神様!》はドラマのテンションを一気に高めます。
第2曲 ドンナ・アンナとドン・オッターヴィオ《何ということ、神様!》
もう1人、ドンナ・エルヴィーラという高貴な女性が登場します。かつてドン・ジョヴァンニと婚約までしたのに捨てられ、怒りのあまりブルゴスからセビリアまで追いかけてきたのですが、内面には「自分のところへ戻ってほしい」との未練を抱えています。それなのにドン・ジョヴァンニは彼女の美人の女中にも手を出そうと、窓辺でセレナード(第16曲のカンツォネッタ《ねえ、窓辺においで》)を歌う始末です。エルヴィーラの苦しい胸の内は「第21b」の曲、伴奏付きレチタティーヴォとアリア《神々よ、あんな大罪に》に凝縮されます。「騙されて捨てられたのに、憐れみを捨てきれない」との思いがコロラトゥーラと呼ばれるソプラノの超絶技巧と一体化した名曲です。
第16曲 ドン・ジョヴァンニ《ねえ、窓辺においで》
第21曲b ドンナ・エルヴィーラ《神々よ、あんな大罪に》
誰が何を訴えようといっこうにこたえないドン・ジョヴァンニは、村娘ツェルリーナの結婚式に現れ、新郎マゼットをレポレッロの助太刀で遠ざけながら、口説き始めます。ドン・ジョヴァンニがツェルリーナを誘惑する二重唱、第7曲《そこで手を取り合おう》はとんでもない内容ながら旋律の美しさで際立ち、ベートーヴェンやショパンが自作の主題に取り入れました。マゼットは当然カンカン。第6曲のアリア、《では言いましょう、はい、と》で怒りをぶちまけます。ツェルリーナは一瞬、ドン・ジョヴァンニにも色目を使ったために別室に連れて行かれ、悲鳴を上げたところでアンナ、オッターヴィオ、エルヴィーラのトリオが仮面を脱ぎ捨てて道楽者の悪事を未遂に終わらせます。
第7曲 ドン・ジョヴァンニとツェルリーナ《そこで手を取り合おう》
第6曲 マゼット《では言いましょう、はい、と》
第2幕では復讐を企ててマゼットが逆にドン・ジョヴァンニからボコボコにされたり、まんまと逃げおおせたご主人様と服を取り替えたばかりにレポレッロがエルヴィーラとデートする羽目に陥ったりと、まずはジョコーソ(喜劇)が優先します。アンナとオッターヴィオ、ツェルリーナ、マゼットと出くわしてしまったレポレッロが間一髪で危機を抜け出し、ドン・ジョヴァンニと再会するあたりから、物語は急激にドラマの様相を強めていきます。真夜中の2時、墓地を通りがかった2人に対し、亡くなった騎士長の石像が突然口を開き、声をかけます。怖がるレポレッロとは対照的にドン・ジョヴァンニはひるまず、騎士長をディナーに招待してしまいました。
ドン・ジョヴァンニの食欲は性欲に負けず劣らず桁外れ。レポレッロが次から次に皿を運ぶ食卓のそばでは楽師たちが当時ヒットしていたオペラのさわりを奏で、ソレルやサルティが作曲した旋律とともにモーツァルト自身の《フィガロの結婚》の一節も流れます。ドン・ジョヴァンニはご機嫌とはいえ、レポレッロがご馳走のつまみ食いをするのを見逃さない周到さです。そこにエルヴィーラが現れて最後の改心を迫りますが、ドン・ジョヴァンニは耳を貸しません。失望したエルヴィーラは戸外に去ろうとした瞬間、悲鳴を上げます。何事かと思ったレポレッロが様子を見に行き、同じように恐怖の叫び声。そう、騎士長が約束通りに現れたのです。ドン・ジョヴァンニが果敢にも握手すると、騎士長は凍りついた手を握ったまま離さず「悔い改めよ」と迫ります。頑なな拒絶の果てに騎士長が「時間切れ」を宣言した瞬間、ドン・ジョヴァンニは地獄に落ちました。
《地獄落ち》を境にドラマは再びジョークへと大きく転換。アンナとオッターヴィオ、ツェルリーナとマゼットがそれぞれの今後を語り、エルヴィーラは修道院入りを決意、レポレッロは新しい主人を探すといいます。最後は全員が《これが悪人の最後です》と歌い上げ、いかにも18世紀の音楽らしい軽やかさで幕を閉じます。
第二幕 フィナーレ《これが悪人の最後です》
池田卓夫/いけだ・たくお
1981年に新聞社入社。フランクフルト支局長時代、「ベルリンの壁」崩壊や旧東西ドイツ統一を報道。帰国後は文化部編集委員を長く務めた。2018年以降「音楽ジャーナリスト@いけたく本舗」の登録商標でフリーランス。執筆の他にプロデュース、解説MC&通訳、コンクール審査などを手がける。東京都台東区芸術文化支援制度、アクロス福岡シンフォニーホールなど地域文化関係のアドバイザーも歴任。
公式ホームページ https://www.iketakuhonpo.com/
モーツァルト:歌劇「ドン・ジョヴァンニ」(シメル/ステューダー/ウィーン・フィル/ムーティ)